宇都宮美術館で、夏の間「いわさきちひろ展」をやっています。
先日ようやく念願かなって行ってきました。

ちひろ展が栃木で開かれるのは初めて。
つまり私は初めてちひろの原画を見ることができました。
今でこそちひろの大ファンの私ですが、以前はそうでもありませんでした。
子どもの頃からちひろの絵と言えば、気づくといつも身の回りにありました。
雑誌や絵本の挿絵だったり、カレンダーの絵だったり。
私にとって、ちひろの絵は、ありふれたものに過ぎませんでした。
当時、少女漫画命だった私にとって、ちひろが描くつぶらな瞳の少年少女は、あまり魅力のあるものに見えなかったのです。
結婚してから毎年実家から送られるちひろのカレンダーも、あるから使うみたいな感覚でした。
その気持ちが変わったのは、子供が生まれてからかな。
ちひろが描くこどもたちの、表情やしぐさ、手足の愛らしさ。
全てが我が子と重なって見えました。
そして初めて、ちひろがどれだけ子どもという対象に愛を注いでいたかが感じられたのです。
ちひろの言葉の中に「私が描くこどもは、どんな状況にあっても(たとえそれが戦火の中でも貧しさの中でも)、どこか幸せそうに見えてしまうらしいのです」というようなニュアンスのものがありました。
それがいいことなのかどうなのかと迷っているちひろがいました。
確かに、どんな過酷な状況下にあっても、ちひろの描く子どもは、凛として品があるように見えます。
だけど、それは子どもの本質というものを描いているからかもしれないと、私は思いました。
環境に寄って、どんな色にでも染まってしまう子ども。
でも、決して染まらない純な部分も持ち合わせているのが、子どもというものなのかなって思ってます。
自分で絵を描くようになってから、しかも子どもの絵を描くようになってからは、なおさらちひろのすごさに脱帽です。
どうしたらあんなふうに人の心に残る絵を描けるのでしょう。
ちひろの絵のほとんどは、独立した作品ではなくて、雑誌や広告、絵本などの挿絵です。
それなのに、あの完成度の高さと言ったらどうでしょう。
ひとつひとつが独立した絵画として、十分に鑑賞に堪える作品です。
遅ればせながら、ちひろという画家の力量に感動するばかりです。
感じたことをつらつらと描きはじめたら、止まらなくなってしまったので、明日に続きます。
ポイント増えてて嬉しいです。今日もよろしく!
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